身近な人を信じない。
これをよく見ると、今までのつながりも信じていなかった。
つながっていこうという愛がたりませんでしたね。
お金をもらうという行為に、喜んで価値交換していなかったのかもしれません。
これは信頼の意味で、申し訳ないことです。
私が本当にもらいたいだけのお金で、価値を交換していなかったので、買い叩かれている気分や、「これはまだ学習のために安くしているのだ」と思い込もうとして、がんばってもこんな程度で馬鹿にされているみたい、、、、としか受け取れていなかった。
そんな思いを積み重ねてしまっていては、何もいいものは残らない。
それは、お客さん側の気持ちではなく、私側の問題です。
だから、ずっともう似顔絵なんかやめたかった。作品を売ることなんか、むなしかった。
時給に換算してしまって、この程度と思ってしまう自分も悲しく、何かが違うと思っていた。
必要性を理解できなくもなっていた。
そして、不自然なあせりでがんばるのだけど、どうにも空回り。
仕事としてのやりがいや丁寧に仕上げる職人的な喜びがあるのだが、つながれていなかったんだ。
なにに?
それが、社会であり、地域であり、家族であり、個人である。
私自身の魂的な望みは、幼少のころから「誰か」とつながっていなさ、にあった。
もちろん自分ともつながっていなかった。
かがみにうつる自分を否定し、自分の声も、存在も否定していた。
だからどこにも生きていないという意識が強く残っていたわけだ。
似顔絵を通して、そこに私とあなたが「いる」ことを学びたかった。
家族に、地域に、生きている自分というものを学びたかった。
でもね、それは「絵」じゃなくて、そのものとして、存在として「いる」ことの認識のほうが、先に必要だったんだわ。
私にとっては、出来ないことを一緒にやろう!といってくれる、パートナーのあきさんに、すべてを相談して、連絡して、報告していくということが一番だったのよ。
ネット集客にお金を払うと相談せず決めてしまって、それを何ヶ月も黙っていたけれど、それでもあきさんは怒らなかった。
いや、正直言うと、前の結婚のパートナーにも似たようなことをやらかしたのに、怒られなかった。
ほんとに、何やってんだろう。
裏切っているのに。
「信じていない」に値する行為なのに。。。
私は馬鹿です。
こんな自分を信頼してくれる人はいません。。。いいえ、自分で自分を信頼できていません。
だから誰を導いていくのだとか、誰を幸せにするとかいうビジネスの本質が何もわかっていないまま、事業を始めてしまったのです。
今は、もう、まずはあきさんのいうことを聞きます。
あきさんが連れてくるお客様を信じます。
喜びを持ってやってくれることを、一緒に喜びます。
私は、職人的にこなしたいと考えています。
必要とされたらします。
肩こりもするし。
面倒だし。
本当は、やりたくないから、やりません、って言いたいんですね。
そうすると、社会や地域から、また取り残されるんじゃないかって、思ってしまいます。
お金も回ってこないんじゃないかとね。
これって、ほんと不思議にループしてますね。
これは、やっと、私、から私たち、になろうとするための、ステップアップみたいなものかもしれませんね。
次!またまた行ってみよう!